遺伝、代謝システム、精神的ストレス、高齢化・人口減少社会

日本人の特徴的な部分

内在環境の宿命(私たち個人の宿命)

  • 遺伝…乳糖不耐症と倹約遺伝子
  • 代謝システム…日本人特有の代謝システム
  • 外部環境の宿命(社会の宿命)

  • 精神的ストレス社会…身体的ストレスと精神的ストレスのアンバランス
  • 高齢化・人口減少社会…齢者急増と人口減少

この1~4の4つの宿命をしっかり理解したうえで対策を立てていかねばなりません。未来のビジョンに向け変えることができない内在環境に対し、変えることができる外部環境をどう変えていくのか。また変えることができない外部環境に対し変えることができる内在環境をどう変えていくのか。つまりそれが現代の健康法になるのです。それでは、まずこの4つの宿命についてです。

遺伝…乳糖不耐症と倹約遺伝子

「乳糖不耐症」

日本人を含む東洋人は、乳糖不耐症といって乳に含まれる乳糖「ラクトース」を消化するのが得意ではありません。その原因は乳糖分解酵素であるラクターゼ(離乳期までの哺乳類にとって、母乳に含まれる唯一の炭水化物である乳糖を消化する重要な酵素) で、離乳期以降急激にその活性が低下します。
そして成人してからも、その活性は、低い状態が続くのです。これを成人型ラクターゼ欠乏症といい、全人類の半数近くがこのパターンなのです。
間違えてはいけないのは、東洋人は全くラクターゼを持っていないのではなく、活性が落ちているだけで、決して乳製品を食べたり飲んだりできないわけではありません。全くラクターゼを持っていない人を遺伝性ラククーゼ欠損症といい、日本人では1年に1人しか出生しない稀な疾患です。また、活性が落ちている人は、個体差があるものの5~30パーセントくらいに低下しているといわれ、日本人の成人が1日に飲める牛乳の限界は、400cccまでと考えられているのです。
この成人型ラクターゼ欠乏症は、哺乳類としては正常な姿です。
しかし、欧米人の中には成人してからもラクターゼ活性が高いまま維持でき、乳製品を十分に消化できる人もいます。
これは1万年以上前に生じた突然変異により、優性遺伝で広まったと考えられています。ここで問題なのが「私たち日本人も乳製品を摂る習慣によりラクターゼ遺伝子が活性化され乳糖を消化できるようになる」という考えと、「ラクターゼ遺伝子の活性は遺伝子の突然変異でしかあり得ない」という2通りの考え方があるということです。
つまり、日本人も乳製品を摂り続けていけば、乳製品を十分に消化できるようになれるかどうかという問題です。
実は、専門家のあいだでは現在のところ後者の遺伝子説の方が有力視されています。この考え方は人類にとって非常に大きな問題で、人類は、遺伝子の突然変異の発現を境にして「農耕+狩猟民族(広義の農耕民族)」と「農耕+牧畜民族(広義の牧畜民族)」とに分かれたということにも繋がります。
現在、遊牧生活を送っている民族も、もともと乳を飲んでいたからラクターゼ酵素を活性化できるようになつたのではなく、遺伝子の突然変異によって成人しても乳を飲めるから牧畜生活を選択する結果になつたということです。それにより、2つの民族は住処をそれぞれ適したところに変え、それぞれの特徴を待った食を含めた文化圏を育むことになつたのです。

日本人は「農耕+狩猟民族」として、欧米人は「牧畜+農耕民族」として生きていく宿命を背負っているといえるのです。そしてそれは、今後も延々と次の突然変異が起こるまで続くのです。私たちの遺伝子からくる代謝システムは、明らかに欧米人のそれとは異なります。

世界がいくら融合しても、これだけは変えることができない宿命として、それぞれの民族が理解し合わなければなりません。そしてそれは、はっきりいって経済よりも優先しなければならない事実なのです。
では、牧畜民族が消化でき、農耕民族が消化しきれない乳製品に対し、私たち日本人(農耕民族) はどのように対処すればよいのでしょうか?
乳製品はその性質上、脂肪が多く高エネルギー食品です。乳児が生きるために必要なさまざまな栄養素を含んだ完成された食品ではありますが、成人には脂肪過多、食物繊維はゼロの不完全食となつてしまいます。もちろん、これだけでは欧米人でも生きられません。基本的にはアレルギーがなければ自分で摂れる範囲で摂っても良いのですが、反対に毎日絶対摂ってはいけないものでもありません。ただし乳製品同士の食べ合わせや、過剰摂取は日本人である以上絶対に控えた方が賢明です。
乳製品は日本人の場合、1日1食以下を厳守した方が良いと思われます。なぜなら日本人は欧米人ではないし、これからも欧米人にはなれないのですから。

  • 「農耕+狩猟民族」の食事は和食が基本
  • 「牧畜+農耕民族」の食事である欧米食は控えめに

倹約遺伝子

倹約遺伝子とは、飢餓に備えてエネルギーをセーブすることにより脂肪を蓄えるための遺伝子です。この遺伝子は優性遺伝で受け継がれ、この遺伝子を持った人は、1日に消費する基礎代謝によるエネルギー使用量が普通の人に比べ200キロカロリー少なくセーブされていることが分かっています。
つまり飢餓の時代には、摂るカロリー数が少ないわけですから、出すエネルギーが少なくセーブできるので、飢餓という環境に順応でき有利に働きます。しかし、現代のような飽食の時代には、摂るカロリーが多いにもかかわらず、出すエネルギーが少なくセーブされてしまいますので、肥満者を急増させてしまうのです。この遺伝子を保有する人が多い国民ほど太りやすい国民といえるのです)。
日本人のこの遺伝子の保有率は39%といわれ、1位のピマインディアン(日本人と同じモンゴロイド) の54%トについで世界第3位であることが分かりました。
アメリカ人は黒人が約25%、白人が11%と日本人に比べはるかに太りづらいといえます(ここで注意が必要なのは、この遺伝子だけが肥満にかかわっているわけではないということです)。
日本人は太りやすくやせづらい遺伝の性質を持っているということを、宿命として受け入れて生きていかなければなりません。

代謝システム

この代謝システムの宿命を理解する際に注意しなければならないことは、単に日本人特有の代謝システムを知ればいいのではなく、宿命以前の宿命である人頬共通の代謝システムも、日本人の宿命であることをしっかり理解しなくては意味がないものになってしまうということです。
その理由は、私たちが享受している欧米食は日本人特有の代謝システムに合わないだけでなく、人類共通の代謝システムにも合わない食事だからです。
その証拠に欧米人は日本人特有の代謝システムを持っていないにもかかわらず、日本人よりはるかに多くの成人病を発症しています。
つまり欧米人は、自分たちがつくり出した欧米食に順応しきれていないのです。それは欧米食が人類共通の代謝システムでも、順応できない食事だからです。
日本人より腸が短く、乳糖不耐症でなく、インスリンを俊敏に分泌でき、倹約遺伝子の保有率の少ない欧米人ですら順応できない食事に、日本人がどうして順応できるのでしょうか。
欧米人は乳糖不耐症を克服し、食の幅が広がり、環境に順応しているように見えますが、実際にはそれがあだとなっているのです。このままでは欧米人も、人類共通の代謝システムを宿命としたうえで食事を再編しないと淘汰される可能性が高いといえます。
乳糖不耐症でないという能力は、いざというときに使うもので、それを強く意識した食事は、欧米人でも控えめにしなければならないのです。

精神的ストレス社会

人類は、食料を獲得し続けるために労働を続けてきました。人類の歴史は、そのほとんどが肉体労働という身体的ストレスの中で明け暮れていたといえます。
そして近代西洋文明は、人類をこの肉体労働という身体的ストレスから解放するために、さまざまな労働を機械によりオートメーション化していったのです。
そして現代文明といえば、健康に無配慮につくり出された物質文明となり、経済、交通、流通、情報交換のどこを見ても、身体的ストレスは縮小しています。というより現代文明とは、人類を身体的ストレスから解放するために発展してきたといってもいいすぎではない感があります。しかし身体的ストレスから徐々に解放された反面、肉体労働は頭脳労働に変わり、ストレスは身体的なものから精神的なものへと加速度的に移行していったといえます。

現代社会がもたらした最大の外的環境の変化は、「身体的ストレスの縮小」と「精神的ストレスの増大」なのです。しかしこの傾向は今後も続きそうな社会情勢ですし、21世紀を生き抜くうえで宿命として受け入れて対応していく必要があります。
そもそも私たち人類はさまざまな外的ストレスに対し、抗ストレスホルモンを副腎という内分泌臓器より分泌し順応してきました。
ストレスは身体的なものと精神的なものに2分されますが、それぞれの反応は異なります。人類は、歴史以来ずっと身体的なストレスにさらされてきたために、身体的ストレスには順応しやすく、すぐに慣れるのですが、

精神的ストレスにはなかなか順応できず慣れにくい生物なのです。そして、もうlつ知らなければならないことは、ストレスとは決して健康の敵ばかりではないということです。
ストレスは、ありすぎても、なさすぎても健康を害するのです。逆に言えば、ある程度ないとそれはそれで問題ということなのです。現代社会の宿命である「身体的ストレスの縮小」に対しては、身体的ストレスを付加する必要があり、「精神的ストレスの増大」に対しては、それを軽減するための内在環境の変化が必要なのです。

高齢化・人口減少社会

日本人の人口は、このまま推移しますとここ数年をピークに、2050年には8000万人弱の第2次世界大戦直後並みになり、2世紀初頭には3000万人という江戸時代後期並みにまで激減すると予測されています。高齢化率(65歳以上の人が人口に占める割合) も、ここ数十年の間に35%に向け急増し急速に高齢化社会になっていくのです。

一般的に人口問題を考える際に、出生率は社会の成熟度にかかわった関数であり、人口予測はこの社会の成熟度により変化し得るものです。
社会の成熟は個の確立によってのみ成し遂げられるもので、人口減少社会では自然に個の確立を招くといわれています。しかし社会常識が個の確立を妨げている国では、子供は生まれなくなり崩壊の危険性が高まります。
分かりやすくいえば男女差、年齢差、学歴などを既得権として維持し安易に個を排除する組織が強い限り、社会は成熟できず出生率は際限なく低下するのです。
日本が今後成熟社会になるためには、1人ひとりが個の確立を図り、自分の考えで人生を全うし、子孫を残していく覚悟が必要なのです。

その意味で日本人は、これから他のどの国民よりメンタルを強化する必要があるといえます。21世紀は自分自身の責任で自分らしく生きる時代となるのです。
逆にそうしなければ日本人は、21世紀を生き抜くことはできないのです。日本の高齢化社会は、基本的に戟後50年の死亡率の低下によってもたらされたものですから、今後人口減少を招くのは確実で、宿命ともいえます。

教育機関、医療機関、企業も含め現存するさまざまな機関が、未だこれまでの人口増加社会を前提としたシステムで構築されていて、このまま人口減少社会に突入すると破綻をきたすのは目に見えています。これからは人口減少社会という前提に立って、社会システムを構築し直さなければなりません。
そういった意味でも、このまま何もせずに現状を放置してしまうと、日本は淘汰される危険性の高い国といえるのです。高齢化社会としてのもう1つの視点は、人類だけに老後があるという事実です。私たちを取り巻くすべての生物の中で、老後が存在するのは人間だけです。老後には何か意味があるから存在するのです。その意味を追求することも、これからの高齢化社会をより素晴らしいものにするための大きな課題となるでしょう。

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